徒然なるままに、春。

25歳OLが思うことを書き連ねていきます。

不登校だった私が今に至るまで①

中学生の頃、私は不登校だった。 いじめられていたわけではなかった。ただ、学校に行かなくなった。

小学生の頃の私は極めて内向的な子供だったように思う。 友達もいなかったわけではないが狭く深い付き合い。それも本当に楽しいと思って遊んでいたというより半ば友達と遊ばなければいけない、という義務感から放課後遊んでいた。
なので、授業から解放された後友達と遊んでいる間はひたすら夕方17:15のチャイムを心待ちにしていた、何よりも家が好きな小学生だった。
人付き合いが苦手だったことは、はとことのとあるエピソードでも強く思い浮かばれる。

ある夏の日、実家から1時間ほどのところにある母方の祖母宅へ、母と2人で遊びに行った。
仔細はよく覚えていないが、そこに今まであったこともなかった自分と同い年のはとこ(母のいとこの娘)も来ていたのである。
気心の知れた祖母だけだと思っていた私にとって目から鱗が飛び出るような事態だった。おばあちゃんの作る美味しいラーメンを食べてすぐ帰りたい。むしろおばあちゃんを実家に連れてきたい、と言わんばかりの表情だっただろう。そんな心境であるとは露知らず、そのはとこは外人の母親譲りなのか、驚異的な社交性を見せた。初対面の私に「はるちゃん、遊ぼう!遊ぼう!!」と食後の遊びに誘ってくるのである。ザ・内向的少女、顔面蒼白。
その時私がとった行動はよく覚えている。ハーフはとこの積極さに気圧された小学2年生の私は、最強の盾・母の背中を装備して守備に入ったのである。母の背中に隠れて無言で首を振る私と、え?遊ばないの?遊びたくないってあなたどういう人間なの?と言わんばかりの、社交的笑顔を顔に張り付けた、理解できない人間を見つめるはとこの顔。
今もそうだが、私はとかく他人に気を使いすぎる節があり他人と時間を共にすると神経を異常にすり減らす。他人といると楽しい時は楽しいがそれよりも心にトゲが残るような些細なキズを作って来ることの方が多いので、自己防衛のために他人を避けているのは否めない。

そんな小学生時代だったが、家族に対してはとてもよく心を開いていたと思う。成績自体は上の下くらいだったので心配させることはなく、弟に対しても頼りになる姉だった。もしかしたら今は仕事の愚痴ばかりこぼす頼りない姉かも知れないが、少なくとも幼少期においては確実に姉らしい仕事を出来ていたと、そこだけは自負している。

そんな私が中学1年の冬、突然学校に行かなくなった。